2011年2月28日 国際会計基準と日本国​会計実務の30年後

posted Feb 28, 2011, 7:03 AM by Unknown user   [ updated Mar 2, 2011, 3:10 AM ]

丸山真男集第四巻の月報2に、加藤周一さんが以下のように述べているをのを読んで、まさに国際会計基準と日本国会計実務の30年後(要するに遠い将来)を述べているかの如くに感じた。 いわく、


「、、、、、1960年代の半ばに日本を訪れたサルトルは、知識人との相互理解に困難を感じたことは、ローマでもモスクワでも、ニューヨークでもなかったが、東京ではそれがある、と言っていた。そして、ただし例外がある、と付け加え、それは丸山教授だ、と断言した。それはフランス語の問題ではなくて言説の内容の問題である。サルトルには常に素晴らしい通訳が附いていた。、、、ここでの問題は決して西洋化した日本人の話ではない。その頃サルトルが主宰していた雑誌・現代が、丸山さんに日本の知識人についての論文を求めたとき、その論文の草稿は、知識人という西欧の概念を用いていきなり日本の状況の分析に入る前に、日本で多用されていたインテリという言葉が知識人とどうちがうかを明らかにしながら、日本固有の概念を分析の道具として役立てようとしていた。すなはち概念の西洋化ではなく、西洋の概念と日本の概念との間の往復運動から、あらためて普遍的な概念的道具を作り出そうとしていたのである。、、、 私は丸山さんがいわゆる近代主義者、すなはち西欧の近代社会をモデルとして日本の近代化を進めようという議論の主張者とは考えない。それは一方では明治政府の、他方では福沢諭吉の主張であった(政府と福沢とのちがいは、西欧近代社会のどの面に注目するかというちがいである)。丸山さんが議論してきたのは、日本では西欧思想史の前近代と近代後が重なったということである。この意見は、西洋モデルによる日本の近代化推進のすすめではない。しかしもちろんいわゆる近代の超克ではない。前近代を以って近代を超えることはできない。西欧と日本の二つの文化の間の往復運動は、おそらく丸山さんの鋭い現実感覚を養ったのだろう、と私は考えている。、、、、、、」


と加藤周一さんは書いていた。国際会計基準議論のはるか昔、1995年10月の話である。


たかが「会計」、されど「会計」。会計も広義の文化現象の一つ、と私(鮎澤)は考えているので、この加藤周一さんの丸山真男論は、まさに昨今の国際会計基準議論に関する、わが日本国での一連の動き、その延長線上の日本国での会計実務の30年後をも示唆しているように、私は思う。


日本国を代表して、国際会計基準議論に参画し、丸山真男教授のような「往復運動」を自在に駆使できる人材を見つけることは確かに困難に違いない。ただ一人、会計言語説でもって会計を叙述しておられた青柳文司教授がそういう仕事をされるとしたら、どうなったか、どうなるのだろうか、と考えることはある。