2010年7月22日 国際会計基準の最新状況

posted Jul 20, 2010, 7:05 AM by Unknown user   [ updated Jul 20, 2010, 3:24 PM ]
日本国におきましても、いよいよこの2010年3月期決算連結財務諸表につき一部国際的大手企業が、標記の国際会計基準の任意適用を開始いたします。これはホンの近い将来の2015年ごろからの強制適用に向けての「お手本」を示す、助走期間としてとらえることができます。そして、私見では、以下に述べますように、近い将来とも直接には国際会計基準の強制適用には係わらない非公開企業、公益法人、学校法人などなどにおかれましても、「会計」が存在する限りにおきまして、会計に係わる世界の趨勢、その本質的動向を見定める上では、大いに知っておかれるべきことには相違なく、ご参考のためにお手配いたしました。

「会計」に係わる二つの箴言が、この国際会計基準への統合を見守る上で、まさしくその理解の基礎となるはず、と考えております。 いわく、

① 「会計」は一つの「言語」である。
② 「会計」は経験の蒸留である。

会計基準の国際的統一の動きは、なにも近頃始まったものでは決してなく、会計が一つの言語である、会計には普遍的な言語機能がある、という会計の本質的理解をするものにとっては、会計基準の国際的統一化は必然の流れ、として理解できます。

また一方、会計は会計を実践してきたものたちの経験の蓄積、経験を踏まえたある意味、試行錯誤の結果であり、会計原則の一つ一つ、木の一本一本は、経験の蓄積の変化によっては原則も変わりうるものであり、この国際会計基準の最大の特色は、その経験に照らし、会計を実践するものの判断を大いに尊重する、そういうものであります。決して杓子定規ではない。

これらの会計に係わる二つの箴言に関してもう少し補足しておきます。

①の、「会計」は一つの「言語」である、と言う時の「言語」とは、当然に日本語、英語といった範疇での言語ではなく、もっと広義での言語機能に関する議論に相違ありませんが、その詳細はここでは割愛いたします。
近い将来世界中のしかるべき企業が国際会計基準を適用する、といった場合、では具体的にどのような「言語」で表現された財務諸表、決算書をもって判断するのか、判定するのか、という点に関する言語の議論があります。議論の余地なく、現在の世界の大勢言語は英米語です。それでは、国際会計基準への準拠性とは、英米語で表現された財務諸表、決算書でもってのみ判断するのか、判定するのか、といいますと、それは「NO!」です。国際会計基準の設定主体は、それは各国での主要言語ないし母国語で表現された財務諸表、決算書でもって判断する、判定する、と明確にうたっております。
確かに、世界の大勢が英米語で動いている限り、国際会計基準の議論の多くは英米語で議論され、英米語にて草案が作成され、「最終国際会計基準」なるものの「原型」も英米語で文書化、表現されます。しかし、世界の各国は、その英米語で表現された「会計基準」をそのまま直ちに「国際会計基準」として受け入れるのでは決してなく、権威ある国際会計基準設定主体から公的に承認された各国の「翻訳家」(例えば、日本であれば日本公認会計士協会)が各国語に翻訳した当該言語で表現された国際会計基準に準拠する、そういうまさしく国際的、多言語的背景をふまえた会計原則の議論であることを決して軽視されるべきではありません。

私見では、このような会計世界の趨勢は、百年の計に立っても注目に値する、と考えております。何故なら、繰り返しますように、世界の言語状況は、まさしく米英語一辺倒です。このような状況が今後50年、100年後も継続されるのか否か、、、。その事実判断、事実認定は、「おそらくそうだろう、、、」というのが多数派に相違ありません。
しかし、この国際会計基準の生みの親の欧州各国、とりわけフランス語圏、ドイツ語圏などなどでは、米英語一辺倒を決して受け入れるものではなく、また、世界の多言語主義に価値を置く少数派も当然にそうであり、そういう世界の大勢に対峙して、私ども会計世界では、まさしく奇跡的に当該国際会計基準への統一化に向けて、必ずしも英米語一辺倒ではなく、多言語主義を相当に前面に押し出している、そんな観がしてなりません。そこにこそ「会計」実践の希望があり、会計は間違いなく、狭義でも広義でも明らかに言語に相違ありません。

②の、「会計」は経験の蒸留である、という箴言も、国際会計基準の統一化そのものに触れるものであり、かつまた、何十年も前から細々と議論されながら、ほとんど日の目をみなかった事象が、米国での一連の大ハレンチ、エンロン、ワールドコム事件、リーマン事件などなど数え上げたらキリがない大事件の「経験」を踏まえ、戦後世界に君臨してきた米国会計原則(FASB)=世界会計原則がいよいよ凋落し、2015年前後をもって、より相対的に説得力のある国際会計基準に統一化されることになりました。

経験の蒸留という本質的意味は、会計原則はあたかも「上から決められたもの、、」かのように理解されがちですが、会計の成り立ち(その昔の地中海貿易に始まる出資者への会計報告、、)からでは、会計上のルールはそもそも会計実践者の様々な会計報告の試行錯誤を経ての積み重ねの結果であり、会計実践の叡智から生まれたもの、その最大公約数的存在である、ということ。智慧ある、会計実践者ならば、保有固定資産に相当の価値下落があることを認知すれば、固定資産を処分する前にでも、それ相当の、通常の減価償却費用を越えて、減損の会計処理をするであろうし、保有在庫の見込み販売利益率が低下すれば、現実の販売前にでも、将来の販売見込み利益を維持するために保有在庫の評価減処理(低価法)もするでしょう。同様に、金融商品につき、満期までの保有に確からしさがない限りは目の前の決算日時点での公正時価評価は、誰に強制されるまでもなく実践するはずです。会計実践とはもともとそういうものであり、決してその逆ではない。つまり、国際会計基準にこう書いてあるから、会計実践者がそれに従う、、、という発想ではない。
もう一つ例を挙げれば、リース会計につき、米国基準、日本基準などでは、リース料の現在価値の90%が現金購入価額を上回る場合には、リース資産として資産計上する、という明確な「数値基準」がありますが、国際会計基準にはそのような数値基準はない。智慧ある会計実践者が、経済的実体をよく吟味して、その実体が「賃貸」ではなく「購入」である、と判断する限りにおいて資産として計上する、そのような規定になっております。

こういう発想が、今回の国際会計基準の最大の特色の一つである旨、ご理解に至れば幸いです。